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わが国と国民の平和と安全を「守る」ということ (8) -法律成立後の感想-

 平和安全法案が可決された。
 かなりいろいろと勉強になった。 だいたい以下のことなのだが、忘れないように書いておきたい。

(1)個別的自衛権と集団的自衛権

 (イ) 日本国憲法の上でも、「自衛権」は認められていると解釈されるわけだが、その自衛権も、概念としては、個別的自衛権、集団的自衛権とがあることがよくわかったと思う。
 今回の法律案では、「集団的自衛権」という言葉はもともと出てきていないと思うのだが(条文詳細未確認)、政府・与党は、「自衛権の行使可能な事態」として新たに規定するにあたって、その部分が「集団的自衛権」の概念内と考えることもできるゾーンに入る部分であると考えて、とても慎重に条文の言葉を選んで規定し(新三要件)、法制案を作成し法整備をしようとしたわけだ。

 当該ゾーンは、「個別的自衛権と集団的自衛権とが重複する部分」だったのだね。
 すなわち、国際法上でも「集団的自衛権」という概念があるようなのだが(未確認だが、例としてNATO軍と思えばいいのだろう)、今回の法整備は、その「国際法上の集団的自衛権の行使」をまるまる認めたものではなく、これが「フルスペックの、、」とか、「限定的に認める、、、」とかの表現で論争中に出てきていた因なのだね。

 (ロ)この重複した部分を、どのように扱って、自衛隊を動かすか、、あるいは、動かさないかという議論が、本来の国会でしてほしい議論だったわけだ。

 個別的自衛権を基調にして考えるにしても、例えば

 ・「別に法整備なんかしなくても、そこは個別的自衛権の範囲と言えるのだから、その重複部分だってバンバンやれば良いのだよ」
という独自解釈強気議論も成り立つし、
 ・「いやいや、集団的自衛権の範囲にも入るのだから、そこはまずいよ、純粋な個別的自衛権の範囲だけで止めて、そこの部分は防衛しないでおこうや」
という弱音議論も成り立つし、
 ・「待てよ、その部分が重複しているからだめなんだから、重複しないようにしたら、バンバンできるぜ。そうよ、個別的自衛権の純粋ゾーンを広げるようにすればいいのさ。そう、日本が広大な軍備を持てばよいのさ、、。 ほら、「密接な同盟国」ってえの、、その同盟国が我が国防衛のために使っている軍備と同じレベルの軍備を「我が国の自前」で持つようにすれば、もうたいていのことは「個別的自衛権」で対応できるぜ」
というような超強気強力化議論もあり得るわけだ。

 (ハ)民主党と共産党は、審議中、「違憲だから、廃案、廃案だ」とばっかり言っていて、自党が考える安全保障政策についてはほとんど明らかにしなかったと思うのだが、昨日(18日)夜になり、テレビ番組に出ていた議員が、(もう成立も確実になったせいか)「個別的自衛権」でいくというのが我が党の考えだと発言していた。両党の議員ともである。 このことはSEALDsのリーダーの発言あたりからも窺うことができたのだけれどもね(民主党のメンバーがリーダーに知恵を付けていたような感じがありありで)。。

 で、KSat が言いたいことは、「「個別的自衛権で行く」ことは、必ずしも「戦争反対」と結びつかないだろう」ということなんだ。 そのあたりをどう考えるのか? この個別的自衛権論者に開陳してほしいわけだ。場合によっては、我が国23万人の自衛隊員数 対 某国230万人の軍人数の格差を埋めるべく、それこそ、「徴兵制なども考えることにもなる」のが「個別的自衛権で行くこと」論ではないのか?

 「個別的自衛権」で行くというのであれば、違憲という議論はだいぶ小さくなるが、、、ある意味、「9条」からは遠くなる可能性もある、、、そんなことを考えるわけだ。

 現内閣の選択、思考は、政治家として、まあ正しいものと思う。

(2)これからは、「できるけど、どうするか? 」と、自らが判断をしていく時代なのだね 

 「できるようになった」からといって、直ちに、そのことがなされなければならないということではない。
 きちんとした態勢で、安全と平和に取り組んでいくことが大事だ。
 
 「安全平和のための法案」に対しても、すぐに、聞く耳持たずに、「戦争法案!」、「戦争反対!」としか受け止めれない政治家連中には、政権を渡すことはやってはいけないことだと思ったりする。
 
(3)改憲論者には、、2種類。。 

 今回、改憲論者には、「善玉」と「悪玉」というか、コレステロールみたいに、2種類いるんだなぁと再認識した。「善玉改憲論者」と「悪玉改憲論者」。
 自衛隊は違憲だという方も改憲論者だったりするわけだと、再認識。。。

(4)ある大学教授の意見、、、、なんか偏りすぎ。。 学問ってそういうもの? 

 9月21日の夜のテレビに上智大学教授が出ていた。 以下のような2つの理由を挙げて、安全保障法制を無効にすべきとの意見を述べていた。

(イ)国民の民意は、「この法制度は、違憲だ。」というところにある。
(ロ)政府側の説明(質問に対する答え)が、前に説明した内容と食い違っている。 特に、日本人母子が乗っていない米軍輸送艦の防護を、当初は「できない」と説明していたのに、最近は「防護できる」と説明している。法律が曖昧だ。

KSat のこれに対する意見は次のよう。
 まず、民意が「違憲」なんて断定できないと思う。 また、「民意で政治をするということ」が、本件のような国家の安全保障に関係するマターでは必ずしも正しくはないと思う。
(ロ)のことは、最新の説明「でき得る」と考えればよい。「乗せる」ために航行しているときも防護可能と考えることが合理的と思う。 日本人母子を現に乗せていなくとも、乗せるために航行しているときは防護可能と考えなければ、不合理と思う。 例えば、朝鮮半島有事の際に、在韓の米国人、日本人を日本に退去させるために、釜山港に向かって航行している米軍輸送艦船を防護する場合である。 「乗ってから」は防護するが、「乗る前」は防護しないでは、、、頭が固すぎるし。。。そういうことで、法律を無効にするって、、、。

 この上智大学の教授は、かなり偏っているし、浅いのではないかと思う。。。 上智大学って良い大学と思うのだが、そこでされている学問って、そういうもの(偏りと浅さ)なのかって、、非常に残念。

(5)民主党副幹事長が請うた「武士の情け」 って、、

 参議院の採決当日の国会の進行を見ていて思ったことが一つあって、それは大したことではないのだが、一応、書いておきたい。
 それは、委員長不信任動議提出について、その理由を弁論する民主党の副幹事長委員に対して、時間超過をなじる与党議員に対して同副幹事長議員がした「武士の情けないのかっ!」という発言のことである。
 これを聞いていて、日本語会話としてかなりの違和感を感じたわけなのだが、そのように感じた理由は、つらつら考えると、「武士の情け」というのは、相手に対して「ないのか?」と言うようなものではないのだよと思ったからだ、多分。。。。 つまり、それはね、、「いつだって、相手が最低限、持っているもの、とは限らんのよ。」  その「言葉」(武士の情け)であらわされるようなモノは、普通は、持ってないものだからこそ、「武士の情け」という特別な表現として、世の中に存在するわけだ。 ましてや、相手に対して、「武士の情けないのか!」と罵倒するような文法・用法はないと思う。 このような日本語解釈、KSat が間違っているのだろうか?
 
 で、安全平和保障のことなのだが、当該副幹事長の政党は、想定各国などが、「いつも「武士の情け」とやら持っている、、」と思っていないか?  もし思っているのなら、 それは見当違いだと思う。 少なくとも政治家は、そんなことを期待していてはいけないと思う。 平和ボケなんだよ。。

、、、というわけで、「武士の情け」という言葉、、、KSat にこんなことを思わせたんだよね。。。 

 確かに、戦争にならないことを願って立法された法律も、戦争法だというような向きもあるわけで、、、。
 なんか、日本語として「言葉」が、、合ってなく、、話も合わないわけか?、、、。

 そうしたことは、法律条文の「・・・できる」という末尾表現の解釈とか、いろいろあるのかもね。
 そうだ、法律の「とき」という表現をみてみるか? 、、、ってわけで、条文を見てみたが、特別に誤解釈するような表現はなかったと思った。 「とき」は、「時(time)」とは違う意味であり、「場合」(case)というような意味合いなのだが、条文では、「場合」という表現が多く使用されており、なるべく誤解釈がされないようにされているという印象。 なお、「・・・できる」という表現はいっぱいあった。

(6)9月27日朝のNHKテレビ番組「日曜討論」で。

 ジャーナリスト櫻井よしこ氏と上記の上智大学教授、他に2人が出席して討論を行っていた。
 その中で、「憲法学者が違憲と言う法律だから、、無効」というような議論をする上智大学教授に対して、櫻井氏が、公述人も務めた憲法学者小林節慶応大学名誉教授がこうも言っているんですよと、同氏が衆議院特別委員会でした発言内容を説いていた。 以下の「 」内が小林氏の同発言。

「我々は大学というところで伸び伸びと育ててもらっている人間で、利害は知らない。条文の客観的意味について神学論争を伝える立場にいる。字面に拘泥するのが我々の仕事で、それが現実の政治家の必要とぶつかったら、それはそちらが調整してほしい。我々に決定権があるとはさらさら思わない。」

 なるほど、字面に拘泥するのが仕事とのことだ。 「神学論争」って、、、やはり信仰心みたいなんだねぇ。
 それも結構なことだが、国家、国家の存立と憲法の関係というような研究もしてみたらどうなの!と言いたい。
 特に、政治学者は、憲法の「神学論争」とはまた異なるスタンスで学究してもいいんじゃないか? って思ったりするわけだ。
 
(7)「説明が不足」ということを理由にする? ということ。

 テレビなどで、世論調査の結果として賛否の比率等を発表することがよくされた。
 この法律に関係しての世論調査では、「説明不足」という回答の比率が、特に注目されたと思う。
 世論調査では、「政府、与党側からの説明は十分されたと思うか?」などの設問がされたと思うが、だいたい一番多い回答は「説明不足」という回答であったと理解している。 KSat は、実は、この「説明不足」という回答の意義がよくわからなかった。
 「内容がわからないから」説明不足というのか? 「安保法制に賛成できるに至らないから」説明不足(説得力不足)というのか? あるいは、「安保法制に反対だし」説明も不足というのか? そうしたことが良くわからなかったのだ。 

 説明が十分であったか?どうか?ということはさておき、回答を求められた個人の方自身は、「法案のことを、よくわかっていたのか?」 というようなことを思ってしまう。。

 一方で、最近、相手の行動なりを判断理由と位置づけて、自己の意見を決定するようなパターンをしばしば見かけるように思う。 なんか変な感じである。 中国や韓国が日本に対する外交などでよく使う手法のような印象があるのだが、何だか肌に合わない。

 KSat は、この件に関しては、「「平和安全法制」私が丁寧にわかり易くご説明します 」というタイトルの安倍総理が書いた形の記事が掲載されている雑誌を買ってきてしっかりと読んだ。 さまざまなテレビニュース番組、討論番組、放送される国会での審議中継なども見た。 各政治家、各論客などの発言、解説も聞いた。
 それでも、「政府の説明は十分か?」と問われれば、「十分ではない」かもしれないね。。などとも思う。 その「十分」というボーダーがわからないしねぇ、、、などと思うのだ。  また、それ以前に、そもそも「自分」にとって十分な説明がされたか? と問われているのか、あるいは「社会一般」にとって十分な説明がされたか? と問われているのか、そんなこともわからなく、、、、質問の意義がよくわからないのよね。。。。 

 一方で、国会の質疑応答を見ていると、質問者が、「イエスか、ノーかで答え下さい」という質問パターンが多くある。 法律というのは、本来、数学のようにはいかないのに、「数学のように」答えよというわけだ。。。 「イエスかノー」だけでは、説明を十分に尽くせないのに、、、。  法律というものは、原則を決めていると同時に、その例外も決めていることも多い。。。 「イエスかノーか」だけでは、法律で規定したいことの真の姿を見えにくくするし、、説明も尽くせないよと思う。 「イエスかノー」の回答だけでは、説明を十分に尽くせないのに、ましてや、立法の趣旨を取り違えている質問者には、思考のベースが正反対なのであり、正しい説明はまんでできないと思う。

 例えば、自衛隊の存在を違憲と位置付けているような政党には、いくら説明をしてもわかってもらえることはないのだろうと思う。 国民の方たちには、そうした「仕組み」というようなものを理解してほしい。

 この記事シリーズを書き始めたのは、少しでも自分なりの考え方の整理をしていこうと考えたからだった。 また、もし、この記事を読んだ普通の方が、この法制について少しでも理解を深めてくれれば、と思い書いてきた。
 
  
 この「説明不足と国民が言うということ」の意義、その正体については、これからも考えていきたい、。


 ともあれ、本シリーズは、これで「完」ということにしたい。
 
 

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                     (京都・哲学の道)

by KSatPhotos | 2015-09-30 23:59 | KSat のそこまで言って委員会 | Comments(6)

残像の記憶 -2015- ” Vol.229, -公団阿佐ヶ谷住宅②-

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6 これのみ、2010年8月撮影。
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by KSatPhotos | 2015-09-30 01:36 | 東京スナップ | Comments(0)

” 残像の記憶 -2015- ” Vol.228, No.1-4

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by KSatPhotos | 2015-09-29 20:39 | 椎名遊莉 | Comments(0)

” 残像の記憶 -2015- ” Vol.227, -公団阿佐ヶ谷住宅①-

工事柵で囲まれた街。
公団阿佐ヶ谷住宅の画像です。撮影は、2013年4月です。

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by KSatPhotos | 2015-09-28 16:49 | 東京スナップ | Comments(4)

” 残像の記憶 -2015- ” Vol.226, No.1

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by KSatPhotos | 2015-09-28 16:19 | 東京スナップ | Comments(0)

” 残像の記憶 -2015- ” Vol.225, No.1

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by KSatPhotos | 2015-09-28 02:40 | 東京スナップ | Comments(0)

” 残像の記憶 -2015- ” Vol.224, No.1

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by KSatPhotos | 2015-09-28 01:49 | 東京スナップ | Comments(0)

” 残像の記憶 -2015- ” Vol.223, No.1-3

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by KSatPhotos | 2015-09-27 02:23 | 葛城ねね | Comments(0)

” 残像の記憶 -2015- ” Vol.222, No.1

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by KSatPhotos | 2015-09-27 01:25 | 東京スナップ | Comments(2)

” 残像の記憶 -2015- ” Vol.221, No.1-3

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by KSatPhotos | 2015-09-27 01:14 | 上原レイラ | Comments(0)