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K.Sat写真の目線

こっちは、安土城址。

安土城址は、まだまだ未知のことも多かったのだが、近年の発掘でだいぷわかってきた。
これは、大手道と呼ばれる、天主までまっすぐに上れる道である。
城中のこのような道路は、防衛上は、ノーグッド。
なので、安土城以前の城では確認されていない。
信長は、素晴らしい革新的な人物だったのだね。
この信長に近江の山城はほとんど焼かれた。一番有名なのは、浅井長政の小谷城。
そして、比叡山の延暦寺まで。

1 大手道。左手は、伝羽柴秀吉邸跡。右は伝前田利家邸跡。 
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2 近江を完璧に焼き払い、信長はここ安土山に画期的な城を造る。この写真は、天主跡から琵琶湖方面を見た画像。当時は湖の水辺が、安土山の麓まであった。ほぼ300度ぐらい湖水で囲まれていた。
当時、船による琵琶湖の湖上交通網は、たいへんに高速の、現代の東京の「山の手線・地下鉄」のようなもの。ここから船を使い、琵琶湖上を一気に移動して、京都、北陸、中部/関東方面まで迅速に行けたのだ。
琵琶湖の岸には、長浜城に羽柴秀吉、坂本城に明智光秀、高島城に信長の親類の織田なんとかを置いて、信長は、完璧に交通路を確保したのだね。
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3 大手道の石段に使われている石仏。信長は、近隣のお城やお寺などを焼き、石材や石仏を持ち出して、それを使って、ここ安土に城を築いた。そんな石仏が石段中に散見される。もし、顔を地面側に向けている石仏があれば、その石仏は、今でも石仏と知られずに、石段に埋もれている。これがそんな石仏の画像。石段を真上から撮ったもの。1の写真で、左側の3段目に、石仏の表示がある石が写っている。
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4 これも当時、近隣のお寺から持ち出されて、単なる石材として使用された仏足石という仏様の足を表している一種の仏様。
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5 天主へ出る階段。
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6 天主跡。有名な8角形の天主が築かれていたと。
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7 天主から南西方向を見る。当時は、田んぼ部分はすべて湖だった。
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by KSatPhotos | 2008-08-02 02:20 | びわ湖 | Comments(0)
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